「全てのレコードは、リピートされることを前提に作られる」

最近いろいろな人の訃報が相次いでてけっこうシビアに落ち込んでます編集部の江口です。なんか「えっ」と思うような人が亡くなられたりしてますが、これはでも自分もその分歳をとってるということなんだよなあ、自分が若い頃に影響を受けたり、別に影響を受けるというほどでなくともなんとなく、つまりそれはある意味においてそれこそ「同時代的」ということだと思いますが、その仕事に接してきた人々が次々と<普通に>亡くなってしまうというのは、つまりその分自分もまた晩年や死の方へと押し出されているということなのだなあ、となんかしみじみ感得したりしてます。
で、訃報とアナロジカルに語ってよいものか吟味せぬまま語りますが、雑誌の休刊・廃刊の知らせもこのところ本当に頻繁で。とりわけ、つい先日の「STUDIO VOICE」休刊のニュースには強いインパクトがあったように思います。休刊したということ自体については、大変失礼ながら、ある意味において非常にさもありなんと思わされる部分もあり、だからその意味ではショッキングではなかったという気もするのですが、でもやっぱりインパクトはあった。なんだかんだで、学部の頃から今日にいたるまで一定の関心は持続的に払ってきたし、強い影響を受けたといえる特集も何冊かあります。
恐らく、僕にとってのSTUDIO VOICEこれ一冊、というのを挙げるとすれば、1997年の8月号、「Greatest Records:SV特選《永遠の名盤》ガイド」という特集を組んだ号だと思います。60年代から80年代まで、具体的にはMartha & The VandellasからSonic Youthにまで至る名盤120枚を紹介した「必携リアル・ロック120」という記事にはじまり、青柳拓次椹木野衣根本敬宇川直宏大里俊晴竹村延和リリー・フランキー北村昌士…といった人々に個人的名盤10枚を答えてもらった「PRIVATE CHART10」、ECDがヒップホップの、コモエスタ八重樫がラウンジの、大友良英がサンプリングミュージックの、秋田昌美がノイズの、ムードマンが電子音楽の、名盤10枚をそれぞれ選ぶという、まさしく最強の布陣による「ミュージシャンが選ぶ革命的名盤10」(こういう記事があるから、メイン記事の「リアル・ロック120」自体はマイナーや周辺ジャンルに傾くことなく、その名の通り王道の「リアル・ロック」に集中できています)、近田春夫湯浅学北沢夏音による座談会「日本のロックとは?」…などなどの企画から構成された、本当にすばらしい特集でした。読み返してみると、自分の音楽的な趣味のベースのかなりの部分が、この特集、さらにいうととりわけ上記「PRIVATE CHART10」における山本精一の回答*1によって決定されているということを思い知らされます。
この回答の中で山本さんがおっしゃっている、「全てのレコードは、リピートされることを前提に作られる」という言葉にも、強い印象を受けたと記憶しています。そして、そうしたリピートされるべきレコードを、決して単なる量的な過大さにおいてでなく、固有の固執と持続をもってリピートしつづけることが「愛聴」ということなのだということにも。ということはつまり、レコードとは本性上その盤面に刻まれた時間と聴き手の生の時間とを媒介するものであるともいえるのでしょう。
…とりとめもなく書いてしまいました。商業誌の休刊ラッシュが相次ぐ中でインディペンデント・マガジンを刊行することの意味とか、STUDIO VOICEの休刊情報が最初に広まったのがtwitterによってであったことの意味とか、についても考えたし書いてみたかったのですが、それはまたにします。私事ながら折しも今日は誕生日。とりわけ特権的な愛聴盤の1枚である「John Simon's Album」を何百回目かにリピートしつつ、かつてリピートされた、リピートする時間のことを考えようと思います。