戦間期の日本の雑誌写真(前島志保先生ご提供)

 どうも、昨日から何かとうるさいid:saebouです。


 今回はエディトリアルデザイン研究番外編ということで、神奈川大学非常勤講師・法政大学兼任講師であり、日本の古い雑誌について研究なさっている前島志保先生より特別に超貴重なレトロ雑誌資料をご提供していただき、資料室に入れることができるようになりました。テーマは「戦間期の日本の雑誌写真」です。


 そのレトロ雑誌写真とはどんなものかと言いますと…



…以下写真

満州軍総司令部」(「光沢写真版」欄内)『日露戦争写真画報』口絵写真(第15輯 1904年2月8日発行)



「沙河附近なる満州軍総司令部」(同上)



上部に「マニラに於ける商船學校生徒歡迎 Students of the Commercial Marine School welcoms[sic.]d at Manila」、下部に「(全校生徒練習船大成丸にて全地に航行)」、左下方に「(雜纂欄内鈴木菊治氏記事参照)」と書かれてある。つまり、この口絵写真は本文記事「馬尼剌港泊雑記」(195-202頁)への導入(『太陽』1907年11月号)



紙面上部には「悲惨なる阿部一家 Funeral of Late Mr. M. Abe, Envoy Extraordinary and Minister Plenipoteniary」(英文はやや小さめの活字)と題が記され、左脇には次のようなキャプションがついている。「九月五日夜。政務局員阿部守太郎氏兇漢に刺され、遂に斃る。上圖は二刺客の兇刃を揮へる阿部邸玄関前。下圖は葬儀當日の同邸、柩車将に發せんとする時、中圖、當日喪主たる令息及令嬢。」(『太陽』1913年10月号 口絵 頁番号無し)



「はらから」(『主婦之友』1920年9月号口絵写真 頁番号無し) 読者からの投稿写真。左脇に「北海道の一愛読者から寄贈してくださつたもので、あまりに可愛らしうございますから、ここにご披露いたします。(以下略)」とある。


「週間話題」(『アサヒグラフ』1928年4月25日号の第5面 右上から時計回りに「明政会の初会合」「五月のぼり「一品揃ひの第二回国際サロン」「陸相廃兵院を慰問」「独逸の見本市」「スナップ」」) 
このうち、一番右上の「明政曾の初曾合」には題の後に次のような文章が続けられている。「代議士新中立團では十六日午後六時東京曾館で鶴見、山崎、小山、椎尾、藤原、岸本の諸氏出席の上第一回の曾合をなし政治結社の名稱は後日まで保留し院内代議士曾を明政曾と決定し初顔合せをした 【冩眞】東京曾館の初曾合」
この記事には次のような英文も添えられている。“Upper-Right: Members of the Meiseikai or the new independent body of six members whose attitude would determine the non-confidence in the Government proposed by the Minseito, discussing their plans for the coming Diet session.”〔右上:来る国会に向けた計画を議論しあう、民政党により出された内閣不信任案の成否を握る六人の代議士によって構成された新独立機関、明政曾の会員(拙訳)〕


「美しい眼」(『主婦之友』1925年6月号「主婦之友・グラフ・セクシヨン」の二頁目 頁番号無し)右脇には次のように書かれている。「伊澤蘭奢さんは、新劇協會の花形女優でございます。眼の涼しい表情の豊かな、そして賑やかな顔の持主であります。表情は心の反映であると彼女は言つてをります。自分の心持をそのまゝ僞らずに、幾分強めて引き伸ばしてゆくのが、謂ゆる表情の秘訣であると言つてをります。彼女の豊かな表情は、舞臺の上で、如何に表現され如何に魅力をもつて活躍してをることか、本號には伊澤さんの、眼の表情に對する興味ある記事を發表してあります。」


「西洋料理の本式の食べ方」(『主婦之友』1923年2月号 口絵) 最初の二つの写真には、次のような文章が付いている。「「(一)最初食卓に就いて直ぐにナフキンをとり、それをひざの上に拡げます。(二)オルドーブルの代りにポンチーが出ましたので、それをデザートスプーンで食べようとしてゐます。」


「家庭的の天ぷらの揚げ方」(『主婦之友』1930年11月号 68−69頁)


小夜福子さんの朝から夜まで」(『主婦之友』1936年2月号) 以下のような文章が添えられている
「お家と違ふから、自分のことは自分でしなければなりませんわ。ねえ、手つきがなかなかいゝでせう。これで相当なものよ。お浴衣くらゐは何時だつて、フゝゝゝ。
黒猫(クロベー)をモデルに油絵の道具を持出す日は、よつぽど気持がいゝとき。編物もようします。今は弟の靴下を編んでてよ。弟? 大阪の中学へ行つてゐるの。お誕生日に間に合ふやうにと一生懸命よ。スキーに穿く厚いんですの。
うち(、、)もスキーやりたいわ。でも、うち(、、)のは空想だけ。お父さんもお母さんもお年寄りやもんで、ほんのそこへも出してくださらんわ。危いいうてな。」



「職業婦人の朝から晩まで」(『主婦之友』1936年4月号) 銀座松坂屋の店員の生活を取材した記事。販売の様子を撮影した十番目の写真に添えられた文章は、次のように、特集されている松坂屋の店員と客のやりとりと店員の心の声(内的独白)から成り立っている。
― この人形は何歳ぐらゐですか。
― はい三四歳でございます。〔中略〕
― これが欲しいが、もしサイズが合はなかつたら取換へてくれますか。(と心配そうにおつしやるので)
― ハイ、お取換へ申上げます。〔以下略〕

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…写真ここまで…

 さて、このレトロ写真から何がわかるんでしょうか?
 
 答えはこちら!なお、前島先生は この雑誌写真に関する論文を「「画報欄」の時代 ― 雑誌写真の変遷と昭和初期の『主婦之友』 ―」 『比較文学研究』 第90号 東大比較文學會 2007年10月 47‐67頁及び“Just Like Motion Pictures: Transformations of Illustrated Articles in Pre-World War II Japanese Magazines.” Windows on Comparative Literature. No.4-5, Tokyo: 2009 (April), 125-137に掲載なさっていますので、興味ある方はそちらもチェック!

 戦前の雑誌写真について研究しているサイトとしてはこのあたりが充実しており、ネット上でも結構見られるようですが、コマプレスでもできるかぎりこのような古い雑誌などを拾ってエディトリアルデザイン研究資料室を充実させたいと思っています。前島先生はなんと引き続き資料提供にご協力下さるそうなので、皆さん今後をお楽しみに!

前島志保先生プロフィール

 東京大学大学院総合文化研究科で学術修士(超域文化科学専攻比較文学比較文化コース)の学位を取得後、カナダのブリティッシュ・コロンビア大学大学院博士課程(アジア学専攻)に留学。現在、法政大学兼任講師、神奈川大学非常勤講師。


・主な業績
 平川祐広監修『小泉八雲事典』恒文社、2000年(「俳句」項分担執筆)
 「西洋俳句紹介前史−十九世紀西洋の日本文学関連文献における詩歌観」 『比較文学研究』(特輯 江戸の香り、明治の響き) 第75号 東大比較文學會 2000年2月 35−46頁
 「西洋俳句事始−二十世紀初頭までの西洋における俳句鑑賞傾向」 『比較文学研究』(特輯 テキストとイメージ)第78号 東大比較文學會 2001年8月 109−126頁