砂時計

        



逆さまにひっくり返すとピンク色がみるみる内に中心へと吸い込まれてゆき、多かった方が少なくなってゆき、少なかった方が多くなってゆき、ちょうど半分になったかと思うのは一瞬のこと、しまいには立場が逆転してしまう砂時計を眺めるのが好きでした。



飽きる事なく何度もひっくりかえして、砂が移ろうのをじっと見ていると、なぜだか妙に寂しい思いがしたものです。ひっくり返すと、いまここにあったものは、動きだし、止まれ!と言っても、止まってはくれず、砂時計を横にしたり斜めにしたり様々に角度を変えて止めようとしても、コントロールはきかず、仕方ないから砂が流れるがままに流させて、最後の一砂が落ちるのを見届けてはまたひっくり返す。いまここにあったものは、もうなくなって、あっちにいって。待って。待ってはくれず。



エストがきゅっと引き締まった小さなガラスケースの中を、砂粒が行ったり来たりしている間に、気がつけばもう相当な時間が経過している。私が砂時計と初めて出会ったのは、祖母の家で確か5、6歳のころだったでしょうか。あの頃と今とでは時間感覚が変わったでしょうか。5歳児にとっての1ヶ月は、それまでの人生の60分の1であり、20歳の人にとっては240分の1、40歳の人にとっては480分の1、80歳の人にとっては960分の1の長さです。確かに、小学生の頃に比べて1ヶ月が経過するのがものすごく早く感じます。しかし、密度が薄くなったわけではありません。むしろ濃くなっているように思います。それは記憶の引き出しが増えたから、情報処理能力が上がったからでしょうか。濃い時間ってなんでしょう。



時は、伸びたり縮んだり濃くなったり薄くなったりゆっくりしてみたり早くなったり千変万化するけれど、そのように時に形容詞を与えるのは私自身なんだよなと思いながら、指先で砂時計をくるりと再びひっくり返すと、今もその小宇宙にふっと飲み込まれてしまいそうになります。そして砂粒が落ちる「今」この瞬間にも自分が存在していることを、確認するのです。




と、やや小説風に綴ってみましたが、
砂時計は、時の経過を忘れてついつい見てしまうものです。
時が経過しているのを、見ているのではありますが。
時をめくる雑誌「Fold」の創刊記念パーティ「un-fold」では、
「時」と「雑誌」をテーマに、3組の素敵なゲストをお招きしてトークライブを行います。
どんなお話が聞けるか、今から楽しみです・・・。

詳細は、また明日!なのですが、
これだけは予告しておきましょう。
7月25日(土曜日)の18:00から20:00は、駒場キャンパス18号館ホールへGo!

(イベント企画担当 みかみ)