時を感じる場所

こんにちは。田中啓介と申します。

雑誌「fold」は時を感じることのできる雑誌です。
ということで、僕が今まで時を感じた場所について書いてみたいと思います。



まずは中銀カプセルタワービルです。かつての日本で、メタボリズムというグループが結成されました。1960年のことでした。彼らはデザインを生命力の外延と捉えたために、歴史の新陳代謝を積極的に促進したのでした。彼らの建築が今、失われたり、保存されたり、あるいは活用されたりしています。



次は廃墟です。廃墟には、時間の終着点があります。つまりそれまでの全てがある。

ここは町中のビルが取り壊されたことで偶然見えてしまった場所です。三方を囲むビルがいかに近接していたかが伺えます。左の方にはトマソンの原爆タイプも見えますね。蛙の解剖はグロテスクですが、街の解剖は少し悲しいものです。




空を見上げて、そこに時の移ろいを感じることのできる場所もあります。



ここは金沢の21世紀美術館です。どこまでも抽象的な空間なのですが、どうしようもなく時間だけが過ぎて行くところでした。僕たちはただひたすらに、空を見上げることしかできませんでした。





ここは、同じモジュールのフレームが連続する長い長い廊下です。伏見稲荷もそうですが、こういう場所で僕はときどき怖い妄想をしてしまいます。自分の体の一部分がフレーム毎に切り取られて、少しずつ置き去りにされてしまうという妄想です。過去の自分がそこに取り残されて行くようで、こういう所を歩くのはちょっと怖いのです。





最後はまだ実際に見たことは無いのですが、一度見に行きたい場所です。東大寺金堂屋根裏部分。それを改修をしているところなのですが、こんなにも鉄骨が入ってたんだなぁと驚きました。このような構造があるおかげで僕たちは大仏を見上げることができる。ときどきこのような鉄骨を批判する人もいます。でもこれは、時間を背負うために飲み込んだ大切なものです。


以上、全く一貫性が無くて申し訳ないですが、時を感じる場所について考えたことでした。