『ドキュマン』から学ぶ

 日替わりブログにさっそくひと穴あけてしまいました。
 はじめまして、コマプレスの大池です。


 「コマプレス」は雑誌製作のために作られたグループですが、同時に「雑誌」というメディアそのものについて学ぶこともメンバーの活動目的の一つです。エディトリアル・デザイン研究と称して、私たちは過去の優れた雑誌を分析し、その手法や特徴を『Fold』に還元できればと考えています。そこでコマプレの活動を紹介する意味で、今日は先日メンバーが分析に取り上げた雑誌Documents(『ドキュマン』)について少し書いてみたいと思います。


 戦間期のフランスで発行された『ドキュマン』(=「資料」)は、1929年から2年間刊行された、全15号を数えるばかりの短命な雑誌です。でもその特徴的な内容やスタイルは今でも様々な方面から関心を持たれており、例えば2006年には、ロンドンのHayward Galleryでこの雑誌だけを扱った初の回顧展”Undercover Surrealism”が開かれたりしています。

 では『ドキュマン』の面白さとは何なのか。まず何よりその過激なグラビアが特徴的です。拡大された足の親指や屠殺場にならんだ動物の脚、アクセサリーとしての干し首や古代の仮面といった民族学の資料、ピカソやダリのリアルタイムの作品など、思わずぎょっとするような多彩な写真・図版が、15フランのこの雑誌には溢れかえっており、思わず「なんだなんだ」と手に取ってみたくなるのです。こうした雑誌作りには、実質的な編集長であったジョルジュ・バタイユの方針が反映されています。彼は、グロテスクでスキャンダラスなもの、キッチュで大衆的なものがもつ視覚的な効果をとても重視しました。『ドキュマン』に掲載されたイメージのインパクトや過剰さについては、多くの人が関心を持ち、美学的な見地からの批評や研究がなされてました。

 美学とは異なる視点からこの雑誌にアプローチしたのが、文化人類学者ジェームズ・クリフォードです。彼が『ドキュマン』について注目したのは、それが当時の民族誌学者とシュルレアリストが合流する稀有なフォーラムとして機能していたという側面でした。『ドキュマン』は、ブルトン・グループから離反したシュルレアリストたち(リブモン=デセーニュ、マッソン、レリス、デスノス、プレヴェール、ヴィトラク、ランブール…)に活動の場を提供する一方で、ポール・リヴェ、マルセル・グリオール、アンドレ・シェフネルといった優れた民族学者、人類学者を執筆陣に抱えていた、という特徴があります。
 このことが『ドキュマン』を一風変わった面白い雑誌にしています。実際に読んでみると、見た目のヴィジュアル的な過激さとは裏腹に、真面目な研究報告や論文がたくさん載せられていることに気がつきます。例えば『ドキュマン』がバタイユ好みに過激化したと言われる1929年の第四号を見ても、その最初に書かれているのはスウェーデンの人類学者によるアメリカ大陸に分布する民族器具についての真面目な調査報告なのです。バタイユやレリスのテクストは、こうした文脈の中でこそ奇抜で滑稽な試みとして異彩を放つのではないでしょうか。

 植民地主義のもと次々に掲載されるエキゾチックな民族学的資料と論文、ジャズやブロードウェーといったアメリカの流行を追うシュルレアリストたちのコラム、日常の異質性を切り取るボワファールのスナップ写真、バタイユデスノスによる嘲笑的で過激なエッセイ。この多様性と雑種性が『ドキュマン』の一つの魅力であることは確かですが、この雑誌の別の面白さは、対立するわけでも迎合するわけでもなく、互いに奇妙な理解と距離感を保ったまま執筆し合う、研究者とシュルレアリストたちのある種の緊張感にあるのではないかと思います。


 私たちの雑誌『Fold』も『ドキュマン』のように人目を引くイメージをたくさん使いたいのですが、そこには予算という悲しい制約があります。『ドキュマン』からは、文体・思想・身体からして違うものが集る場を作るという編集方法、そして、奇妙な理解と距離感を保った編集メンバーの緊張感、というところを参考にするとして、今後も雑誌作りに励んで参ります。それでは皆さん、よい週末を。